旧・青森競輪場(青森県)
1950(昭25)年〜1982(昭57)年

前進基地の硫黄島を飛び立った2機のB29は仙台湾から男鹿半島へ抜けると
鰺ヶ沢附近から
青森市にむかって飛来した

その米軍機からは照明弾とともに6万枚ものビラが撒かれ
ビラには
「数日の内に青森市を含む11の都市のうち4つか5つ
爆撃するから避難するように」
と記されていた

予告された
青森空襲である



時は流れ、
戦後復興事業の一環とし
市内の合浦公園に市営球場と
競輪場など建設され

1950(昭25)年:第一回
市営青森競輪が開催される


場外売場も弘前、五所川原、青森駅前、八戸、藤崎などと増やし
開催期間は
降雪のない4月〜10月とハンディもあるが多くのファンを集めていた



施設の老朽化交通渋滞緩和などの関係で
1982(昭57)年:市街地から離れた青森市新城に
新しく競輪場を建設し移設する


跡地は広場として残され、桜の開花時期には多くの人たちの憩いの場となっている



青森県青森市合浦町